少し前の話ですが、ニュースでサッカー選手と結婚した女優の会見での発言が話題となっているのを目にしました。

その女優は理想の妻像としてさだまさしの「関白宣言」に登場する女性を挙げたそうです。
「関白宣言」のどの部分に共感したかは定かではありませんが、概ねあの曲の全体像としては、亭主関白を理想としながらも、妻をいたわる夫とそれに応える優しい女性像が思い浮かびます。 そもそも亭主関白とは何なのでしょうか。

 確かに「メシ!」「フロ!」と妻に命令する亭主関白は、一見すると偉そうである。しかし、妻から見れば、亭主関白などは、自分一人では身の周りの世話が何もできない「大きな赤ちゃん」に過ぎない。
  永井俊哉ドットコム「なぜ日本人は幼児的なのか」
 
上記にあるように、「亭主関白」は夫が妻を召使い扱いするという差別と、妻が夫を赤ちゃん扱いするとうい二重の差別が感じられます。
 もちろん、夫の命令に従順に従うような夫婦関係は現在では少ないような気はします。それは妻の就業化が進み、現実的に夫の世話をしている暇などないというのが共働き世帯の本音でしょうか。それでは逆に妻の言うことに逆らわない夫というのはどうでしょうか。「妻の尻に敷かれるのが家庭円満の秘訣」などとしている記事も多く見かけます。

 欧米では、夫が妻のために食事を運び、部屋に入るときには、自ら扉を開けて、妻を先に入れる。こうした「婦人への奉仕」という欧米に伝統的な騎士道精神を見て、「欧米では、女性は尊重されている」と思うかもしれない。実はこれは、「女は、オレたち男が守ってやらなければ生きていけない、か弱い動物だ」という男尊女卑の態度の表れである。日本の男にとって、妻が母親の代替物であるのに対して、欧米の男にとって、妻はペットなのである。
  永井俊哉ドットコム「なぜ日本人は幼児的なのか」

男女関係なく、こういった騎士道精神や「反論したいけど、逆らわないで従っておいた方が無難」というような関係性は、本当の意味での対等な関係を築けないようです。また、自分の意見を言わない、反論しないということは同意の場合であっても、誤解を招く恐れがあります。
料理を作ってみんなで食べた時、「美味しい」でも「うまい」でも「薄い」でもなんらかの反応があれば、その料理に対しての評価は分かりますが、何も反応がない時はたいてい悪い方に感じた経験がありませんか。同意の場合であっても、言葉で表現することは重要です。

冒頭の「関白宣言の妻」は「良妻賢母」のイメージを表現したもので、上記のような男女間の不平等を意識したものではないようですが、少なくとも「亭主関白」や「騎士道精神」などを理想像とすることが、いかに双方にとって差別的であるかを改めて考えるきっかけとなりました。



縦横無尽の知的冒険
永井 俊哉
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2003-07-15