日常生活でストレスがたまる原因の多くは「被害妄想」から来るような気がします。例えば

「誰かが自分のことを悪く言っている気がする」

「こんなことをして失礼な奴だと思われてはいないだろうか」

「あんなことを言ってしまって、相手は怒っているに違いない」

「自分は美人ではないから、もてないに決まっている」

こういった後ろ向きの考え方の裏にある思考をよくよく考えてみると、自分の思い込みであることが分かります。夫であれ、子供であれ、まして職場の同僚、ママ友など、自分とは別の個人とのコミュニケーションにおいて、相手の考えていることは理解できません。
しかしながら、会話や表情などでそれを理解しようと努力するはずです。相手がつまらそうな顔をしていたら、こちらに非があるのではないか、相槌がそっけないものだったら、話がつまらないのではないか、と考えるはずです。そういった理由で上記のような否定的な気持ちが大きくなり、コミュニケーション自体をストレスと感じてしまう場合が私にもあります。そういった時、この言葉を思い出すようにしています。

 一般的に言って、被害妄想は、もしも自分が相手の立場にあるならば、自分がするであろうことの一方的想像であって、だからこそ、自他の欲望が鏡像的に入れ替わっているわけです
   永井俊哉ドットコム「反日的韓国人の深層心理」のコメント部分


相手との会話の中で起こる否定的な感情の多くは自分の中にある否定的感情そのものなのではないかということです。あいさつを返さない人はあいさつしない人を失礼だとは思いません。欧米人が靴のまま我が家に入ってきたとしても、「文化を理解していない」とは思うでしょうが、失礼だとは思わないはずです。そこには相手に対するこちら側の理解があるからだと考えます。

相手の気持ちを考える努力はするべきでしょうが、それが過剰になって「そう思っているに違いない」と考えるのは、早計です。「そう思っているに違いないのではなく、自分だったら(自分がそう言われたら)そう思うというだけに過ぎない」ということを意識して生活することが、余計なストレスをためないことになると思っています。



縦横無尽の知的冒険
永井 俊哉
プレスプラン
2003-07-15