・子供のために離婚するという発想
離婚に至る理由は多くあるかと思います。ブログを読んでいると夫婦関係、特に夫への不満や離婚に関する記事が多いのは、それだけ話題になることなのだからでしょう。「子供のために離婚しない」というのは理解できますが、「子供のために離婚する」というのは、少し考えないと理解に苦しみますが記事を読むと納得できるものも数多く見られます。

子供のために離婚しない理由
・子供から片方の親を奪うことになる
・経済的に厳しくなる
・子供が偏見を持たれる
などが、理由として多くみられます。逆に離婚した方が子供のためだとする理由は
・毎日ケンカばかりで、子供に悪影響を及ぼす
・DVが日常的であり日常生活自体が危険な状況
 が主なものかと思われます。

・結婚は恋愛の延長なのか
結婚を恋愛からの延長と捉えると仲が悪くなったら一緒に生活する意味を感じられません。性格の不一致が離婚の原因となる場合、そもそも性格が合うあわないを結婚の継続条件としている思考が見て取れます。
そもそも恋愛結婚とは何なのでしょうか
《遊び》としての《恋愛》と《労働》としての《結婚》が異質である以上、両者を調和させようとすることに無理がある。もしも「愛し合っているから生活を共にしている」のなら、「愛し合わなくなった時には生活を共にはしない」ことになるはずなのだが、いったん結婚すると、そしてとりわけ子供ができると、有形・無形の多大なサンクションなしには婚姻関係を解消することはできない。恋愛結婚では、遊びが労働を吸収したのではなくて、労働が遊びを吸収したのである。経済学的に見れば、恋愛結婚は、無責任な出産を減らし、確実に人口を量産するシステムを作って、産めよ殖やせよの資本主義の発展に貢献したのである。
   永井俊哉ドットコム「結婚における市場の論理」
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恋愛は遊びであり結婚は労働であるという厳然たる事実をはっきりと言える大人は少ないのではないでしょうか。そういったことを知識として習得する機会は少なくなっていると感じます。
結婚は、子供という第三者の人権が関わるのだから、結婚に関する夫婦個人の自由はある程度制限されてしかるべきである。心の発展段階を考えても、子供に個人主義を求めるのは無理である。だから、夫婦を愛という気まぐれな関係だけで結合させるのではなくて、法的拘束力のある関係で結合させなければならないというのが、国家権力が結婚に介入する根拠である。 
   永井俊哉ドットコム「夫婦別姓問題を考える」

・前提条件のすり替えによる比較は意味がない
結婚は国家が介入する法的なものです。結婚することによる税制上の優遇や各種手当など結婚生活を送ることによるメリットは独身でいることよりもはるかに多いです。しかしながら、そのメリットと引き換えに子供という第三者の人権を守る必要性が出てくるのだと感じます。
DVなどは別としても、性格上の不一致や不貞行為による離婚は結婚を恋愛の延長としてしか捉えていないことによるものも多い気がします。相手の不倫などの不貞行為により夫婦間に亀裂が入ることは理解できますが、それが離婚にまで発展するとういのは相当の不和があると思いますが、考え方を変えないと離婚後に同じことを繰り返す可能性は十分あると思います。
子供にとって離婚が良いか悪いかという議論は前提条件のすり替えがあります。仲の悪い夫婦が毎日ケンカばかりしている家庭とシングルマザーでも笑顔の絶えない家庭という比較では結論は言うまでもありません。
仲の良い夫婦で笑顔の絶えない家庭とシングルマザーでも笑顔の絶えない家庭、仲の悪い夫婦が毎日ケンカばかりしている家庭と貧困と多忙に悩む沈んだ顔のシングルマザーというのが現実的に比較可能な事例ではないでしょうか。
夫婦問題に悩むブログを読むと、離婚の回避を考える妻は脳内で「夫のATM」化を考えています。これは結婚を恋愛感情最優先で考えなくなったという現実主義的思考であり、現代の恋愛至上主義の社会ではうしろめたさを感じるかもしれません。しかしながら、そのうしろめたさこそ疑いをかけるべきものであると思います。

・結婚制度の本質は人権保護
仲の良い結婚生活が最良であることは間違いありませんが、仲の良くない結婚生活だからといってすぐには解消できないものが結婚という制度です。
結婚という制度自体が子供の人権を守るためのものであるという理解があれば、「子供のために離婚する」という言葉は「子供のために子供の人権を守る制度を自ら手放す」行為だと覚悟する必要があると思います。
この記事は過去の「子供のために離婚するというブログを読んで考えたこと」を加筆、修正したものです

市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05