・生きているだけで素晴らしいのか
今回、子供がケガをして一時的ではありますが歩けなくなってしまいました。
「骨に異常はないから大丈夫」と自分に言い聞かせたのは、最悪の場合と比較することが心の平静を保つことであったからかもしれません。
テレビの有名タレントや、ブログ記事でたまに目にするものの、なにか引っかかる言葉があります。
「生きているだけで価値があり、それだけで素晴らしい」
「存在そのものに意味があり、その奇跡を毎日意識しながら感謝して生きる」
「生きているだけで丸儲けの発想で、謙虚な気持ちで生活することが幸せの近道」
などがそうです。一見その通りだなと思う反面、現実の世界ではそんな単純なものではないというような気持ちにもなります。今回、子供がケガをして歩けなくなってしまいました。
「骨に異常はないから大丈夫」と自分に言い聞かせたのは、最悪の場合と比較することが心の平静を保つことであったからかもしれません。
そういった前向きな言葉を素直に受け入れられないのは、何も齢を取って偏屈になったからではありません。合理的な理由があるように思います。

ある商品の価値の総額は、何人の買い手が、その商品と引き換えにどれだけの犠牲を払おうとするかで決まる。空気や日光のように有用だが希少性がない財は、その獲得と引き換えに何も犠牲にする必要がないがゆえに、価格はゼロである。言語表現の理解においても、新たな知識を受け入れるということは、その知識と矛盾する過去の認識を犠牲にすることを伴う。既に知っている知識は、その獲得と引き換えに何も犠牲にする必要がないがゆえに、価値はゼロである。新しい知識は、それがより多くの人のより多くの過去の知識を否定すればするほど、より多くの価値を持つ。
永井俊哉ドットコム「貨幣と言語の類似性」

この論文では、お金と言葉の類似性ということで、価値を計測するものとしてのお金と言葉を挙げていますが、これは健康についても当てはまるのではないでしょうか。

・健康のありがたさを知る時とは
健康な人が病気をして初めて「健康の有難さ」や「何でもない日常こそ最高」などと語る話はよく耳にします。空気も日光も人間が生きる上で必要不可欠であることは言うまでもありませんが、それに感謝するということとは別です。そもそも「素晴らしい」という言葉自体、何かと比較して優れている、褒めたたえらるべきものという意味なのですから、健康でない過去の自分や現在健康でない他人などと比較して「優れている」からこそ素晴らしいと感じるはずです。
NIS8452soucyounoradio_TP_V

・幸福感を感じる理由
「生きているだけで素晴らしい」という言葉の奥には、「生きているだけで素晴らしいと感じられる私は、そう感じない過去の自分や他人と比較して優れている」という感情があると解釈するのが自然なのではないでしょうか。「何か比較する対象がなければ、素晴らしいと感じることはできない」と理解することが幸福感を感じる近道なのではないでしょうか。

・何と比較して素晴らしいのか
この「生きているだけで素晴らしい」という言葉を拡大して「女性というだけて(生命を誕生させられるという意味で)素晴らしい」や「年長者、年上の人間は(人生の先輩という意味で)素晴らしい」というのもたまに耳にします。これは紹介する人に悪気はないのかもしれませんが、「生命を誕生させらる主体となりえない男性よりも女性のほうが優れている」、「経験の少ない若年者は経験の多い高齢者よりも劣っている」という根拠のない差別的思考であると思えます。自分の思考段階でのそういった考え方は他人に害を及ぼすものではないので、いくらでも比較、優劣を判断して脳内で自己満足していれば良いのでしょうが、そういった思考を道徳として「女性は男性よりも優しく扱われるべき存在」だと考えることや「年長者を敬う」ことを当たり前として疑わないことこそを疑うべきであると思っています。

この記事は過去の「生きているだけで素晴らしいという言葉に潜む感情」を加筆、修正したものです。

市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05