ローリスクハイリターンな投資としての子育て

40代 家事、育児、教育、投資を中心に生活しています。楽しい生活をおくるための考え方や料理、おすすめ映画、おすすめ本など。

カテゴリ: 思想

・ゴミの分別は資源の有効活用
今では当たり前のようにプラスチックごみ、燃えるゴミ、不燃物などをそれぞれ半透明のポリ袋に入れて決まった日に出しています。ゴミ袋が黒だったことも忘れている人も多いのではないでしょうか。
地球環境を考えればなるべくゴミを出さない、そして資源の有効活用という意味でゴミの分別は大切なことだと思っていました。この論文を読むまでは・・・

従来、プラスチックなどの塩化有機物を焼却炉に入れると焼却炉が傷むという理由が、プラスチック類のごみを、焼却炉に送る「燃えるごみ」に混ぜずに「燃えないごみ」として分別したり、あるいはマテリアル・リサイクルのために分別回収したりすることを正当化してきた。しかし、現代の廃棄物発電は、この問題を既に解決しており、マテリアル・リサイクルでは採算がとれないようなプラスチック類は「燃えるごみ」に混ぜて捨てる方が望ましい。
永井俊哉ドットコム「リサイクルはどうあるべきか」

・市役所職員の意外な言葉
私の友人の中に市役所職員がいます。その人はゴミの焼却場に配属になったことがあり、焼却場の内情に詳しい人です。ゴミんの分別が面倒だという話になった時、彼が言ったことが忘れられません。

「燃えるゴミは生ごみばかりなのでなかなか燃えない。適度にプラスチックが入っていた方が良く燃える。燃えない時は大量の油を使うので、本当にゴミの分別が環境に良いか分からなくなった」

というような話でした。その場では、そんなものかと受け流しましたが、なんともやりきれない気持ちになりました。環境問題を考えてトレイを洗ったり、ペットボトルのラベルを剝がしたりといった行為も本当に意味があるのだろうかと思うようになりました。

 
市場原理のもと営利を追求する企業にとって、人的資源は、天然資源とともに節約に努めなければいけないコストである。また他社との競争に勝つために、顧客の満足度を高めなければならない。そこで、企業は、人件費を最小にし、顧客の利便性を最大にするように進化を遂げてきた。ところが、政府主導のリサイクル産業は、これとは逆の方向に進んでいる。政府にとって、人件費は、雇用の拡大という大義名分のもと増やすことが正当化できるコストであるし、住民の労働は、法律で強制することでタダでいくらでも使える資源である。その結果、政府は人海戦術的なリサイクル産業を肥大化させ、住民には不便な方法を強要するようになったのである。
永井俊哉ドットコム「リサイクルはどうあるべきか」
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・節約生活とゴミの分別
節約生活を考える場合、収入に対して支出の割合を減らすといったことが基本となります。当然、ゴミを減らすことも無駄を省くという意味で重要なことです。だからといって、ゴミを分別するという手間つまり人的資源を浪費することは結果的にコストがかかっているという事実も認識すべきであります。

・ゴミの分別は資源の浪費
そもそもゴミの分別自体が地球環境の改善に有効であるとは思えません。そうであるならば分別している時間が無駄そのものです。私が住む自治体のプラスチックごみは汚れがひどい場合は燃えるゴミとして出して良いそうです。水洗いで汚れが落ちるものは水で流してから出すそうです。いずれにしても罰則規定はないので、まじめに分別している意味は「おそらく地球環境に良いことをやっているつもり」になれることくらいです。しかしながら、分別は面倒で貴重な時間を費やすという人的資源の浪費であるということは事実です。

多くの自治体がプラスチックごみは全て燃えるゴミとして出せる方向になっているとはいえない現状です。少なくとも個人としては行政の押し付けるただ働き(ボランティア)には注意したいと思っています。
この記事は過去の「ゴミの分別は資源の浪費である理由」を加筆、修正したものです。

市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05













・生きているだけで素晴らしいのか
今回、子供がケガをして一時的ではありますが歩けなくなってしまいました。
「骨に異常はないから大丈夫」と自分に言い聞かせたのは、最悪の場合と比較することが心の平静を保つことであったからかもしれません。
テレビの有名タレントや、ブログ記事でたまに目にするものの、なにか引っかかる言葉があります。
「生きているだけで価値があり、それだけで素晴らしい」
「存在そのものに意味があり、その奇跡を毎日意識しながら感謝して生きる」
「生きているだけで丸儲けの発想で、謙虚な気持ちで生活することが幸せの近道」
などがそうです。一見その通りだなと思う反面、現実の世界ではそんな単純なものではないというような気持ちにもなります。今回、子供がケガをして歩けなくなってしまいました。
「骨に異常はないから大丈夫」と自分に言い聞かせたのは、最悪の場合と比較することが心の平静を保つことであったからかもしれません。
そういった前向きな言葉を素直に受け入れられないのは、何も齢を取って偏屈になったからではありません。合理的な理由があるように思います。

ある商品の価値の総額は、何人の買い手が、その商品と引き換えにどれだけの犠牲を払おうとするかで決まる。空気や日光のように有用だが希少性がない財は、その獲得と引き換えに何も犠牲にする必要がないがゆえに、価格はゼロである。言語表現の理解においても、新たな知識を受け入れるということは、その知識と矛盾する過去の認識を犠牲にすることを伴う。既に知っている知識は、その獲得と引き換えに何も犠牲にする必要がないがゆえに、価値はゼロである。新しい知識は、それがより多くの人のより多くの過去の知識を否定すればするほど、より多くの価値を持つ。
永井俊哉ドットコム「貨幣と言語の類似性」

この論文では、お金と言葉の類似性ということで、価値を計測するものとしてのお金と言葉を挙げていますが、これは健康についても当てはまるのではないでしょうか。

・健康のありがたさを知る時とは
健康な人が病気をして初めて「健康の有難さ」や「何でもない日常こそ最高」などと語る話はよく耳にします。空気も日光も人間が生きる上で必要不可欠であることは言うまでもありませんが、それに感謝するということとは別です。そもそも「素晴らしい」という言葉自体、何かと比較して優れている、褒めたたえらるべきものという意味なのですから、健康でない過去の自分や現在健康でない他人などと比較して「優れている」からこそ素晴らしいと感じるはずです。
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・幸福感を感じる理由
「生きているだけで素晴らしい」という言葉の奥には、「生きているだけで素晴らしいと感じられる私は、そう感じない過去の自分や他人と比較して優れている」という感情があると解釈するのが自然なのではないでしょうか。「何か比較する対象がなければ、素晴らしいと感じることはできない」と理解することが幸福感を感じる近道なのではないでしょうか。

・何と比較して素晴らしいのか
この「生きているだけで素晴らしい」という言葉を拡大して「女性というだけて(生命を誕生させられるという意味で)素晴らしい」や「年長者、年上の人間は(人生の先輩という意味で)素晴らしい」というのもたまに耳にします。これは紹介する人に悪気はないのかもしれませんが、「生命を誕生させらる主体となりえない男性よりも女性のほうが優れている」、「経験の少ない若年者は経験の多い高齢者よりも劣っている」という根拠のない差別的思考であると思えます。自分の思考段階でのそういった考え方は他人に害を及ぼすものではないので、いくらでも比較、優劣を判断して脳内で自己満足していれば良いのでしょうが、そういった思考を道徳として「女性は男性よりも優しく扱われるべき存在」だと考えることや「年長者を敬う」ことを当たり前として疑わないことこそを疑うべきであると思っています。

この記事は過去の「生きているだけで素晴らしいという言葉に潜む感情」を加筆、修正したものです。

市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05





 

・子供のために離婚するという発想
離婚に至る理由は多くあるかと思います。ブログを読んでいると夫婦関係、特に夫への不満や離婚に関する記事が多いのは、それだけ話題になることなのだからでしょう。「子供のために離婚しない」というのは理解できますが、「子供のために離婚する」というのは、少し考えないと理解に苦しみますが記事を読むと納得できるものも数多く見られます。

子供のために離婚しない理由
・子供から片方の親を奪うことになる
・経済的に厳しくなる
・子供が偏見を持たれる
などが、理由として多くみられます。逆に離婚した方が子供のためだとする理由は
・毎日ケンカばかりで、子供に悪影響を及ぼす
・DVが日常的であり日常生活自体が危険な状況
 が主なものかと思われます。

・結婚は恋愛の延長なのか
結婚を恋愛からの延長と捉えると仲が悪くなったら一緒に生活する意味を感じられません。性格の不一致が離婚の原因となる場合、そもそも性格が合うあわないを結婚の継続条件としている思考が見て取れます。
そもそも恋愛結婚とは何なのでしょうか
《遊び》としての《恋愛》と《労働》としての《結婚》が異質である以上、両者を調和させようとすることに無理がある。もしも「愛し合っているから生活を共にしている」のなら、「愛し合わなくなった時には生活を共にはしない」ことになるはずなのだが、いったん結婚すると、そしてとりわけ子供ができると、有形・無形の多大なサンクションなしには婚姻関係を解消することはできない。恋愛結婚では、遊びが労働を吸収したのではなくて、労働が遊びを吸収したのである。経済学的に見れば、恋愛結婚は、無責任な出産を減らし、確実に人口を量産するシステムを作って、産めよ殖やせよの資本主義の発展に貢献したのである。
   永井俊哉ドットコム「結婚における市場の論理」
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恋愛は遊びであり結婚は労働であるという厳然たる事実をはっきりと言える大人は少ないのではないでしょうか。そういったことを知識として習得する機会は少なくなっていると感じます。
結婚は、子供という第三者の人権が関わるのだから、結婚に関する夫婦個人の自由はある程度制限されてしかるべきである。心の発展段階を考えても、子供に個人主義を求めるのは無理である。だから、夫婦を愛という気まぐれな関係だけで結合させるのではなくて、法的拘束力のある関係で結合させなければならないというのが、国家権力が結婚に介入する根拠である。 
   永井俊哉ドットコム「夫婦別姓問題を考える」

・前提条件のすり替えによる比較は意味がない
結婚は国家が介入する法的なものです。結婚することによる税制上の優遇や各種手当など結婚生活を送ることによるメリットは独身でいることよりもはるかに多いです。しかしながら、そのメリットと引き換えに子供という第三者の人権を守る必要性が出てくるのだと感じます。
DVなどは別としても、性格上の不一致や不貞行為による離婚は結婚を恋愛の延長としてしか捉えていないことによるものも多い気がします。相手の不倫などの不貞行為により夫婦間に亀裂が入ることは理解できますが、それが離婚にまで発展するとういのは相当の不和があると思いますが、考え方を変えないと離婚後に同じことを繰り返す可能性は十分あると思います。
子供にとって離婚が良いか悪いかという議論は前提条件のすり替えがあります。仲の悪い夫婦が毎日ケンカばかりしている家庭とシングルマザーでも笑顔の絶えない家庭という比較では結論は言うまでもありません。
仲の良い夫婦で笑顔の絶えない家庭とシングルマザーでも笑顔の絶えない家庭、仲の悪い夫婦が毎日ケンカばかりしている家庭と貧困と多忙に悩む沈んだ顔のシングルマザーというのが現実的に比較可能な事例ではないでしょうか。
夫婦問題に悩むブログを読むと、離婚の回避を考える妻は脳内で「夫のATM」化を考えています。これは結婚を恋愛感情最優先で考えなくなったという現実主義的思考であり、現代の恋愛至上主義の社会ではうしろめたさを感じるかもしれません。しかしながら、そのうしろめたさこそ疑いをかけるべきものであると思います。

・結婚制度の本質は人権保護
仲の良い結婚生活が最良であることは間違いありませんが、仲の良くない結婚生活だからといってすぐには解消できないものが結婚という制度です。
結婚という制度自体が子供の人権を守るためのものであるという理解があれば、「子供のために離婚する」という言葉は「子供のために子供の人権を守る制度を自ら手放す」行為だと覚悟する必要があると思います。
この記事は過去の「子供のために離婚するというブログを読んで考えたこと」を加筆、修正したものです

市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05




 

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