「縦横無尽の知的冒険」を読んで衝撃を受けた人のブログ

40代 家事、育児、教育、投資を中心に生活しています。充実した生活をおくるための考え方や料理、おすすめ映画、おすすめ本など。

カテゴリ: 労働

・「自分を変えたい」という発想を疑う
「自分を変えたい」という発想が起きる前提としては「現在の環境は変えられないこと」があります。現状に不満があるが、周りは変えられないので自分が変わるしかないという発想です。しかしながら、この前提そのものを疑うことこそ、不満解消のためには必要なことなのではないでしょうか。

テレビのニュースなどで、「同一労働同一賃金」が最近話題になっています。やり方はいろいろでしょうが、根本的な考え方には賛同できます。同じ仕事をしていてパートなどの非正社員と正社員の給料が違いすぎるのは改善されるべきです。

それはともかく、これを推し進めていけば何が起きるのでしょうか。パート社員などの非正規社員と正社員の賃金格差が少なくなる、つまり正社員の賃金がもっと下がることに繋がると考えるのが間違いないところでしょうか。パート社員の時給を引き上げるよりも正社員の賃金を減らす方が経営者として考えれば合理的判断であるのは明白だからです。

・転職のリスクとは何か
賃金を減らされた正社員は転職するでしょうか。すぐにはしないはずです。現在の日本(特に地方)にそれを積極的に行うメリットは少ないはずです。仮に今勤めている職場が中途採用に積極的な職場だったとしても、次に勤めるであろう職場は閉鎖的である確率が高いからです。現実問題、職場も学校も自由に移動できればよいのでしょうが、それには多くのリスクを伴います。

そういったことを十分承知の上で、私自身が正社員として17年間勤めた会社を辞めるには理論的に納得できるものが自分には必要でした。そんな時、この文章を思い出しました。
 日本は先進国の中で最も自殺率の高い国であるが、その理由の一つとして、日本には、他の先進国と比べて、選択の自由が乏しいという点を挙げることができる。語学力が苦手な人が多いので、日本で生まれたら、一生日本で生活しなければならない。転職の自由が制限されているので、一度入社したら、定年までそこにしがみつかなければならない。転校の自由も制限されていて、いじめがあるからといって、簡単に逃げ出すことはできない。日本人は、現状に不満がある時には他所に逃げるという発想に乏しい。自分で解決しようとするよりも、運命に身を委ねる人が多い。そして、どうしても我慢できない時には、あの世という究極の脱出口に救いを求める。こうした日本の傾向を変え、自殺率を下げるためにも、選択の自由をもっと増やすべきなのだ。
            永井俊哉ドットコム「民主主義はどうあるべきか」
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・正社員という肩書を敢えて捨てるという選択
正社員に留まることが全てではない。むしろ自らそういった既成の道徳的な縛りで自らを規制することは自分の子供に対しても同じような道を歩ませることに繋がるのではないか。子供には、自らがリスクを覚悟で自由に選択することの意味を自分の生き方を通して学んで欲しい。そう思うようになりました。

・努力の方向性を考える
学校であれ会社であれ、我慢できなければ、いや、そこまででもなく自分に合わないと感じていれば、別の居場所を探す努力をするべきであり、その場所や人などの環境を変化させようと努力したり、その場に留まりながら自分自身を環境に対応させようすることのみを努力と考えるのは早計ではないのでしょうか。

今の日本の社会問題の多くは上記の論文にあるように、選択の自由が制限されていることにあるのは実感として分かります。社会構造はすぐに変えられませんが、親が自ら模範となってそういったリスクを伴う選択をすることが、子供達が今より暮らしやすい社会にするための布石となると思っています。

この記事は過去の「自分を変えたいという発想の危険性を考える」を加筆、修正したものです

市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05





 

・避難するリスク、しないリスク
2016年の11月22日に福島県沖でM7.3の地震が発生しました
この地震で5年前を思いだしました。
東日本大震災で自分の生活スタイルを見直した方は多くいると思いますが、私もその中の一人です
特に原発事故後の生活は、本気でリスクとはなにかということを考えるきっかけとなりました
最近、問題になっている福島からの避難者へのいじめ問題などは、避難することのリスクというものが現実にあったという裏付けでもあります。

・共働きは想定外のリスクに弱い
5年前、私達夫婦は共に被雇用者でした
雇われているとういことは、パートであろうが正社員であろうが組織の一員であるため、一般的には災害規模が大きくなればなるほど、組織の構成員としての役割も重要になり、家族を優先して組織の役割を放棄することはなかなか出来ません。
原発事故による放射線問題があったときも、国からの避難指示がない限りは仕事を放棄して避難などできるはずがないという使命感、義務感が当時の大多数の被雇用者の意見であったと感じています。
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・組織に埋没するということとは
私も組織の一員として仕事をしていたので、目の前にある仕事(震災でさらに膨大となった仕事)を放棄することは道義上できない、一緒に働いているメンバーに対して迷惑がかかるという思いが多くありました
しかしながら、私はそれより以前にネット上でシステム論研究者の永井俊哉氏を知り、ブログや著作を何度も読み返していました。彼のこの言葉を思い出しました
もし、その組織から逃げることができず、イエスマンになるしか他がないのなら、その人は、初めから独立したシステムとしては死んでいるということになる。組織に埋没している人は、独立したシステムとしては死んでいるが、組織という拡大身体の一部としてなら、生きている。その人は、組織が、環境に適応して生き延びることができるかどうかという形で、独立した個人と同じ問題に直面する。
これは永井俊哉ドットコム「環境に適応するとはどういうことか」の中の一文です
家族とは組織の最小単位であるといわれます。子供にとって、その両親が作り上げる家庭環境はその後の人格形成に極めて影響力があることに異論はないと思います
そうであれば、職場という組織の維持に使うエネルギーを家族に使うことは合理的な判断であると思えました。

・共働きをやめた理由
仮に原発事故による放射線被害がさらに深刻なものであったなら、移住を検討しなければなりませんでしたが、夫婦ともに被雇用者でれば、その選択を自らないものとしていた気がします。
共稼ぎは収入の面では一人よりも安定的であるはずです。しかしながら、それと引き換えに緊急時の選択の幅を狭める要因にもなります。
リスクに対する考え方は人それぞれでしょうが、私の場合は原発事故の約3年後、被雇用者であることをやめました。
夫婦どちらかが被雇用者であることは安定的な生活を送るために重要です。そして夫婦どちらかが被雇用者でないということも、大規模災害などの変化に即座に対応できるという観点からは重要であると思います
この記事は過去の「共働きをやめるきっかけとなった出来後について」を加筆、修正したものです

市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05



 

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