ローリスクハイリターンな投資としての子育て

40代 家事、育児、教育、投資を中心に生活しています。楽しい生活をおくるための考え方や料理、おすすめ映画、おすすめ本など。

カテゴリ: 子育て

・働くことは疲れること
最近読んだブログを通して、思うことがあったので記事にしました。
「働くことは疲れることだということを子供に見せる大人にはなりたくない」という趣旨のブログでした。
このブログでは自分が小さい頃に自分の父親(会社員)がいつも帰るのが遅く、帰ってくると、へとへとに疲れた顔をしてほとんど会話もせず、酒浸りになってしまって、最後には病気で亡くなってしまいました。
父親の姿を見てすっかり夢も希望もなくなった作者はその父親を反面教師にしたつもりでしたが、自分も仕事をしているうちに「お金だけ入ればいいや」という気分になってきました。
そして仕事から帰ってイライラしていて家事をしている自分に対し、自分の子供が「いつも怒ったような顔をしている」と言われたそうです。このことをきっかけにハッとして考えを改めたそうです。
「結局は仕事は辛くて嫌なことである。それが潜在意識としてあったのではないか」、「目標を思って何かをすると言う大人になってなかったのではないか」と反省したそうです。そして「仕事は辛いものではなく、本来は楽しいことであるということを子供に伝えるべきだ」という結論になっています。

・楽しいことにはお金を払う
「仕事はつらいことで、どうせ働かなきゃいけないんだと思ってしまうと安定志向に走る」、そして子供達には「やりたいこと何て絞る必要がない」と強く訴えていきたいということです。
しかしながら、この意見に対しては疑問も生じます。仮に夢に向かっていても、仕事とは本来楽しいことなのでしょうか。もちろんそれを楽しんでやるというのが前提であれば、それは遊びに変わってしまう気がします。通常、一般的に考えて労働とは対価を得るものです。それが楽しいのであれば、それはお金を払っでもやりたいことになってくるでしょう。テーマパークに行くのにお金がもらえるのであれば、その求人には殺到することでしょう。みんなが楽しいと思うことはお金を払ってやるものです。現実問題として求人広告を見て、それを楽しそうと思える人がどれだけいるでしょうか。
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・やりがいをどこに見出すか
生活するために働くのは当然です。実際にハローワークなどの求人票を見て、楽しそうと思えるような仕事がどれだけあるのでしょうか。もちろん正社員であれパートであれ、拘束される時間の代わりとして、その対価である賃金が支払われるます。その賃金をもとに余暇活動を楽しむことに「やりがい」を見出すことは可能です。仕事中は全く楽しくない、むしろ辛いことばかり、だけれども余暇を十分に楽しむということであっても、それは十分な労働意欲が起こるきっかけとなるのではないでしょうか。

労働自体を楽しいという前提で考えてしまうと、楽しくない仕事というものを受け入れるものが困難になるのだと思います。仕事は本来辛いというものが前提にあって、その中で楽しみを発見することもあるというのが現実なのではないでしょうか。子供に対して仕事内容を自分の適性に合わせるとか、やりたい楽しみにを見つけるためなどと言ってしまうと、現実とのすり合わせが困難になるのではないかと思います。

・仕事と賃金の関係
大人になれば、自分の楽しみ(余暇活動自体の楽しみ)というものが前提にあってそれを行うためにはいくらぐらいのお金が必要だということは分かります。そのためにはいくらぐらいの収入が必要だというものを自然に分かるはずです。例えば海外旅行に行くのが趣味で、それが1回あたり30万円かかるとすれば、それを稼ぐためには1ヶ月から2ヶ月の間の労働をしなければなりません。その労働が厳しいものであればあるほど、通常は賃金は高いものになってくるでしょう。仮にそれが楽な仕事であれば月5万から10万円稼ぐのが限界で、海外旅行に行くには6か月の働く期間が必要です。それをどのように選択するのはその人の考え方になりますが、やはり現実問題として辛い仕事の賃金は高い楽な仕事の賃金は安いというような現実は嫌でも分かります。親の役目としては、「基本的にどんな仕事であれ、その仕事の中でやりがいや楽しみを見つけるということは可能である」という思考法を身につけさせることではないでしょうか 

下記の本は自分の働き方を考える上で、多大な影響を受けました。子供にもぜひ読ませたい本です。



・ユーチューバーという芸能人
うちの子供達は家に帰ってから ユーチューブばかり見ています。ユーチューバーと呼ばれる方々が色々な番組を作っていて、その番組は面白いものが多いです。それを職業としている人も多くいるのではないでしょうか。また、それ以外にも多くの芸能人やスポーツ選手に憧れる子供たちは多いでしょう。子供たちが芸能人に憧れるのは今も昔も変わらないかと思います。しかしながら、仮に自分の子供が芸能人になりたいと言った時に、素直に喜べる大人は芸能関係者ぐらいではないでしょうか。全く芸能関係に携わっていない親にとって芸能界というイメージ は「大変そう」というのが正直なところではないでしょうか。実際にそういったものを職業として選びたいと子供が本気で考えていたら引き留める親も多いのではないかと思います。ではなぜ引き留めるのかを自分自身考えてみると、漠然とした不安だけではないものがあるということがこの文章を読んで分かりました。
芸能人とは、その芸能によって、不特定多数の大衆から注目を集めることでその存在が可能となる有徴な存在者である。一般の堅気の職業に就いている無徴の人たち(昔の農民や今のサラリーマン)は、職務遂行上、自分自身を大衆の好奇心の対象にする必要がない。しかし、芸能人、少なくともプロの芸能人は、自分自身を大衆の好奇心の対象にすることが仕事そのものなのである。かつて見世物小屋では、奇形児が晒しものになった。今日、さまざまな境界上の両義的存在者がテレビの画面に映し出されるのも、その異様さが、視聴者の注意を引くからである。
永井俊哉ドットコム「芸能人とはいかなる存在か」

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・奇異の目に晒されるということ
芸能人(ユーチューバー含めて)は、 ありふれていては当然人気がなくなります。つまり”普通”でないからこそ多くの人から物珍しいと思われ、好奇の目で見られるということになります。目立ちたがり屋の人が芸能関係で成功するのは当たり前と言えそうですが、それだけではなく普通の人とは違うからこそ芸能界で成功するのでしょう。
 スポーツ選手を含めて、芸能人が大衆にエロティシズムの快楽を与えるのは、本業によってのみではない。ゴシップ誌やスポーツ新聞やワイドショー番組は、「〇〇が××と結婚!」、「〇〇の愛人発覚!」、「〇〇が××と離婚!」といった、無徴の個人がしたとしても決して報道されることがない、マイナーでプライベートなネタを「電撃的スクープ」と称して、連日大々的に報道して、大衆の覗き願望を満たしている。供犠執行人が刃物で生贄を切り裂き、その内奥を暴き出すように、あるいは、興行主がストリップ・ダンサーに服を脱がせ、その裸体を観客に見せるように、イエロー・ジャーナリズムは、芸能人の私生活を公衆の面前に赤裸々に露出させ、エロティシズムの快楽を求める大衆を喜ばせる。
永井俊哉ドットコム「芸能人とはいかなる存在か」

・人気ユーチューバーと引き換えに失うもの
芸能人、ユーチューバー含めてですがそういった職業を目指すということは、好奇の目にさらされる可能性がある職業に就くということを意味します。それは職業以外のプライバシー、特に性的な面でも好奇の目にさらされる可能性が十分あり得ると言えます。そういったことを理解せずに芸能関係に入ってしまいプライバシーの侵害を原因に引退して行く芸能人が最近多いように思います。それは芸能人という存在がプライバシーをもその好奇の目にさらされる対象となる可能性を軽視していたということが言えるのかもしれません。プライバシーを確保したいからこそ芸能人であることをやめたといえるのでしょう。プライバシーの侵害は芸能人であっても許されるべきではありません。しかしながら、現実として芸能人は好奇の目にさらされる可能性が高いということを十分子供に認識させた上で、そういった世界に憧れを持たせることが必要であると思っています 。




 



・勉強なんて意味がないのか
家の子供は中学生になります。学校の勉強なんて意味がないということをテレビドラマなどで目にします。多くのブログを読んでいても、算数の勉強は社会に出てからは何の役にも立たないとか国語の文章読解は本を読まない人にとっては関係ない、理科の実験に何の意味があるのか、社会に出てから学ぶことの方が多いと言った意見や,そのように子供から言われたことを目にすることがあります。
もちろん私も多くの意見を耳にして自分の経験からもそう思ったことが数多くあります。しかしながら社会に出てから思い返してみれば、高校受験や大学受験のために勉強をした経験というのは勉強法を学ぶ、つまり自己管理するということがいかに大事かということを含め、それは学生時代に培ったものではないかと感じています。

・親としての想い
今現在、学生の子供たちは日々こう言った問題に直面しているのではないでしょうか。
親としてはとりあえず勉強はやっておけと言いたいところですが、とりあえずという言葉で解決する問題ではありません。
ではなぜ勉強するのかといった子供たちの問いに真剣に答える必要があると思います。そう思っている時にこの文章に出会いました

詰め込み教育の時間を削って、自ら考える時間を与える「ゆとり教育」で、伝統を乗り越える新しい価値を作り出す人材を育てることはできない。伝統的なパラダイムを知らない者は、伝統的なパラダイムの価値すらわからないから、伝統的なパラダイム以上に価値がある新しいパラダイムを創造することができないだけでなく、新しいパラダイムが伝統的なパラダイムよりも価値があるか否かということすらわからない。そういう人たちは、自分が低いレベルにいることすら知らないまま、低いレベルにとどまることになる。
永井俊哉ドットコム「パラダイムとは何か」

この文章をそのまま言葉に伝えたわけではありません。分かりやすく言えば、今現在の知識というものを知らなければ新しいことを生み出すことができない。つまり今現在の状況に何らかの不満があるのであれば、今現在の状況を知ることが必要である。そのためには知識の習得つまり過去の人間の思考と生活の結果であるものを吸収するということが新しい価値を生み出すことにつながる、それはつまり充実した生活をしていくしていく上で有効なことであるということになります。
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・未来を考えるために過去を学ぶ
今勉強しているということは単なる断片的な知識の詰め込みであっても、それが人間活動の結果として起きた人類の成果と言えるものです。それを多く学ぶことが次の新たな価値を生み出すきっかけになるものだということです。
もちろんそういったものを覚えなくても生活することは可能でしょう。実際そういったものを吸収せず生活する人は多くいます。しかしながら生物としてあらゆる状況に対応するためにも知識を習得しておくことが得策であることは言うまでもありません。それは勉強と遊びを分けるということよりも遊びと勉強は両方大切だということにつながります。
そしてそれは勉強をせず遊んでばかりいればいいというわけではないということにつながります。「よく遊びよく遊べ」という古くからの言葉というのは勉強をする必要があるだろうけれどもそれと同時に勉強以外の遊びやスポーツもをやることが生き抜くために必要だということを理解していたからではないでしょうか。

・変化への柔軟な対応
親としては勉強を多くしてもらいたいのは当たり前かもしれません。しかしそれがなぜかと聞かれた場合に、変化に対応できる柔軟な発想のため、つまりより良い生活を送るために必要だということを高い次元で納得させる必要があります。私の子供には上記のような言葉を分かりやすく伝えることが有効でした 。
 下記の絵本は子供への教育を考える上でも、親にも子供にもぜひ読んで欲しいです。何をやっても失敗ばかりだったぐるんぱはその失敗を糧にしていきます。小さいころ感動した覚えのある絵本がいかに人生の本質をついているかは今になって実感として良くわかります。

 
ぐるんぱのようちえん
西内 ミナミ
福音館書店
1966-12-15




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