「縦横無尽の知的冒険」を読んで衝撃を受けた人のブログ

40代 家事、育児、教育、投資を中心に生活しています。充実した生活をおくるための考え方や料理、おすすめ映画、おすすめ本など。

カテゴリ: 子育て

 
膝を強打してから歩けなくなってしまった子供。骨には異常なしとのことでしたが、歩けないということが、これほど大変だということは歩けなくなるまで分からないものです。そして、付き添う立場になってみて、初めて付き添う立場の人の気持ちが分かるものです。もちろん大変なのは足を痛めた本人に違いありません。しかしながら、現実的にトイレにも一人で行けないとなると、付き添いは必須となり、学校に行っても様々なことが発生します。
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・歩行、特に階段の上り下りというものがいかに重労働であるか
・容赦ない小学生の言葉、奇異の視線に晒されること
・優しい気持ちで手伝ってくれる人には対応しなければならないこと

早く直って欲しいという気持ちはありますが、それは本人が一番強いのしょうから、あまり無理をさせず、辛抱強く付き添う必要がありそうです。

人間の長所と短所は、糾える縄の如く、表裏一体である。例えば、社交的な人には主体性がないし、主体性のある人には、協調性がないというように。人間の本性を変えることは容易ではないし、標準的な人間になっても、平凡な人以上の価値はない。それならば、教育により標準的な人間へと矯正するよりも、自分の特性を長所とする努力をした方が、得策ということになる。
  永井俊哉ドットコム「世代を超えた格差の固定化を防ぐ方法」

この言葉を思い出しました。歩けなくなったということで身に着く別の感覚というものがあるはずです。それが今は見えないからと言って悲観してしまうのは、バランス感覚が欠如しているといえそうです。

永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05









 


 

数か月前の週末のことでした。子供が公園の遊具で遊んでいたら膝を強打しました。最初のうちは「ほっておけば直る」くらいに考えていました。何分経っても立ち上れず、おかしいと思って無理に立たそうと起き上げたら、激痛で悲鳴をあげました。すぐに休日当番の整形外科で受診したところ
「骨には異常なし。立ち上がれるはず。筋を痛めたようだ。全治2週間くらい。ショックで立てないだけなのではないか」
ということを言われて一安心しましたが、その後3日くらいは一人でトイレにも行けず、次の日は学校を休ませました。その次の日からはなんとか手すりにつかまりながら片足で歩けるようにはなりましたが、数週間は不自由な状態が続きました。(今は完治しました)
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親が目を離した一瞬の出来事でしたし、見ていても防げなかったと思います。のどかな休日が一転した出来事でした。
下校、登校の付き添いといった地味に大変な作業が続きました。こういった突発的なことは本当にいつ起こるかわかりません。






 


 

・ゴールを決めたときの爽快感の正体
私は映画をよく観ますが、スポーツはあまり観ません。嫌いというわけではなく、ハラハラして見ていられないというのが正直なところです。ですが、昨日のサッカーは最後まで見ました。世界最強のクラブチームに日本のチームが互角に戦っているという、少し前までは考えられなかったことが、現実に起きていることに興奮しました。
ところで、サッカーでゴールが決まった瞬間の爽快感とは何なのでしょうか。

サッカー選手がシュートを打ってゴールを決めたり、野球の選手がホームランを打って、ボールを観客席に入れ、観客が興奮するのは、それが射精的行為でもあるからだ。
                永井俊哉ドットコム「芸能人とはいかなる存在か」 

こういった発想は私には夢にも思っていませんでした。しかし、そう考えると納得できる部分も多くあります。 

・スポーツに求めるもの
そもそも、スポーツや映画などいわゆる娯楽とはなんなのかということを考えると、「暇つぶし」以上のものを求めている気がします。社会問題を扱う映画やドラマ、礼儀を重んじる部活動などを「暇つぶし」として捉えるのは抵抗感があります。

 「スポーツは何の役にも立たない」という私の発言は、スポーツを貶めた発言ではありません。おもしろいことに、役に立つものの中で、「崇高な」とか「感動的」と形容できるものは、何もありません。道具には、道具以上の価値がないのです。私たちが、偶像(アイドル)として崇拝するものは、すべて実用性から切り離された祝祭空間の中にあります。
          永井俊哉ドットコム「芸能人とはいかなる存在か」のコメント部分
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・役に立つとはどういうことか
役に立つというのは何なのかということを考えると、例えば
・毎日の保育園の送り迎え
・毎日の食事の準備
・毎日の皿洗い
・毎日の家の掃除
・仕事場でのパソコンでの入力作業
・座る暇がないほど忙しい営業活動
などが、経験として思い出されます。これはこの行為をすることにより貨幣を得られたり、生活の安定をもたらすものです。しかしながら、この作業に感動はありません。

・役に立たないからこそ感動する
役に立つということは一般的に地味なものです。家庭の主婦が黒子的なイメージがあるのは現実的に役に立つからこそ地味なのであって、スポーツ選手やアイドルに感動するのは、それが役に立たないからであるとすると腑に落ちる部分も多いかと思います。
スポーツに努力や粘り強さを養う糧となる部分は確かに多いと思います。しかしながら、スポーツのみにのめり込むことは「役に立たない」ものにのめり込むことであるという認識も、子供の教育に必要であると思っています。










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