「縦横無尽の知的冒険」を読んで衝撃を受けた人のブログ

40代 家事、育児、教育、投資を中心に生活しています。充実した生活をおくるための考え方や料理、おすすめ映画、おすすめ本など。

カテゴリ: 生活

少し前の話ですが、ニュースでサッカー選手と結婚した女優の会見での発言が話題となっているのを目にしました。

その女優は理想の妻像としてさだまさしの「関白宣言」に登場する女性を挙げたそうです。
「関白宣言」のどの部分に共感したかは定かではありませんが、概ねあの曲の全体像としては、亭主関白を理想としながらも、妻をいたわる夫とそれに応える優しい女性像が思い浮かびます。 そもそも亭主関白とは何なのでしょうか。

 確かに「メシ!」「フロ!」と妻に命令する亭主関白は、一見すると偉そうである。しかし、妻から見れば、亭主関白などは、自分一人では身の周りの世話が何もできない「大きな赤ちゃん」に過ぎない。
  永井俊哉ドットコム「なぜ日本人は幼児的なのか」
 
上記にあるように、「亭主関白」は夫が妻を召使い扱いするという差別と、妻が夫を赤ちゃん扱いするとうい二重の差別が感じられます。
 もちろん、夫の命令に従順に従うような夫婦関係は現在では少ないような気はします。それは妻の就業化が進み、現実的に夫の世話をしている暇などないというのが共働き世帯の本音でしょうか。それでは逆に妻の言うことに逆らわない夫というのはどうでしょう。「妻の尻に敷かれるのが家庭円満の秘訣」などとしている記事も多く見かけます。
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 欧米では、夫が妻のために食事を運び、部屋に入るときには、自ら扉を開けて、妻を先に入れる。こうした「婦人への奉仕」という欧米に伝統的な騎士道精神を見て、「欧米では、女性は尊重されている」と思うかもしれない。実はこれは、「女は、オレたち男が守ってやらなければ生きていけない、か弱い動物だ」という男尊女卑の態度の表れである。日本の男にとって、妻が母親の代替物であるのに対して、欧米の男にとって、妻はペットなのである。
  永井俊哉ドットコム「なぜ日本人は幼児的なのか」

男女関係なく、こういった騎士道精神や「反論したいけど、逆らわないで従っておいた方が無難」というような関係性は、本当の意味での対等な関係を築けないようです。また、自分の意見を言わない、反論しないということは同意の場合であっても、誤解を招く恐れがあります。
料理を作ってみんなで食べた時、「美味しい」でも「うまい」でも「薄い」でもなんらかの反応があれば、その料理に対しての評価は分かりますが、何も反応がない時はたいてい悪い方に感じた経験がありませんか。同意の場合であっても、言葉で表現することは重要です。

冒頭の「関白宣言の妻」は「良妻賢母」のイメージを表現したもので、上記のような男女間の不平等を意識したものではないようですが、少なくとも「亭主関白」や「騎士道精神」などを理想像とすることが、いかに双方にとって差別的であるかを改めて考えるきっかけとなりました。



縦横無尽の知的冒険
永井 俊哉
プレスプラン
2003-07-15



 

友人から聞いてなるほどと思った話です。
時計が世間に浸透したのはつい最近のことで、それ以前は太陽の動きで季節や一日を区切っていたのだそうです。

仮に時計がない世界を想像してみてください
日の出の時刻は寝ているので正確には一日の始まりが分からない場合が多い気がします
そうすると日没こそ一日の始まりにふさわしい なぜなら、日没時間はほとんどの人が活動しており、それを認識できるからです。
だからクリスマスイブや大晦日などは本来、クリスマスであり、お正月なのだそうです。

私の一日を日没基準で考えてみます。
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子供たちと入浴
夕食
子供たちと遊ぶ
睡眠
朝食
仕事
昼食
仕事
買い物や掃除、夕食準備など
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一日で楽しみなことが先にきて、仕事は最後の方になります。

一日の始まりが朝だとすると学校や仕事が最初にくるので前の日の夜が楽しめないことがあります
そんな時は、もうすでに今日は始まっていると考えて、学校や仕事を終えた後を想像して眠りにつく。

少しの発想の転換で前向きな気持ちになれることを教えられた気がしました。
この記事は過去の「一日の始まりは朝ではない」を加筆、修正したものです。



・夫を教育するという発想
教育の意味を調べてみると「教えて知能をつけること。人の心身両面にわたって、またある技能について、その才能を伸ばすために教えること」と出てきます。子供に対して教育という言葉は受け入れられますが、家事をしない、できない夫に対して教育をするというブログを読むと違和感を感じずにはいられません。
最近読んだブログにこんなものがありました

夫婦ともに正社員で子供一人の家庭

夫が仕事を口実に家事をやらなくなった

子供がもう一人欲しいが仕事と育児、家事で余裕がない

夫が家事、育児に協力すれば余裕ができるのでもう一人子供を育てられるので夫を教育することにした

今後、夫に家事を少しずつ頼む

夫は自分のことも満足にできない(妻にまかせっきり)

<頼む家事の内容>
妻が指定したメニューの夕食を作成
食事の後片付け
洗濯物を洗濯機までもっていく
休日に妻が買ってきた食材で妻が指定したメニューの料理作り

だそうです。このケースで夫に教育をするということは当然、夫よりも自分のほうが家事全般のスキルが上であるという前提にあると思います。夫にしても家事、育児は妻に任せきりという状態が伺えます。

・分担という名の命令
共稼ぎ状態であれば、家事育児は当然分担するべきであるので、夫にできることを頼むことは必要不可欠かと思います。しかしながら、一点気になることがあります。それは「妻が食材を準備し、妻の指定したメニューでの料理作り」ということです。
料理の楽しみであり、また面倒なことは、買い出しとメニューを考えることにあると思います。妻に指示されたメニューを妻よりも下手に作って、妻の料理のありがたみを夫に理解させることが目的であれば、それでいいのしょうが、家事の公平な分担へのハードルを自ら高くする可能性があると思います。
夕食作りを頼むのであれば、買い物からメニューまで全て夫に任せることが、夫の自主性とやる気を起こさせることになります。妻が考えもつかなかった料理でも不満を言わずに美味しそうにたべることができるかが妻に課せられた試練かと思います。
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・指示通りの役割分担がもたらすもの
指示通りの料理を作らせるだけでは夫婦が対等な関係にあるとは思えません。相手に指導したり教育するという発想を持った時点で上下関係が発生し、妻は相手を自分の思い通り動かすことに満足し、夫も「妻の思い通り動く」ことが妻の機嫌を損ねないと理解して行動するようになりかねません。
妻の言うことは上から目線に感じ、疎ましく感じる可能性があります。こうなれば良好な人間関係を築く障害になるでしょう。仕事内容や住居事情が変化したわけでないのに家事育児をさせるように教育するという発想は夫からすれば「仕事で手一杯なのに、これ以上・・・」という不満が溜まっていく気がします。

・自主的な行動を促すためには
相手を自主的に行動させたいなら家事、育児をやらざるを得ない環境を作ること。例えば、一週間のうち1日を夜遅くなる仕事又は朝早くなる仕事をする。短期間の旅行に出て家事育児を全て任せるなどが良いのではないでしょうか。これにより夫の自主性と子育てへの責任感、妻への感謝が生まれるのではないかと思います。

この記事は過去の「夫を教育するという発想のブログを読んで考えたこと」を加筆、修正したものです。





 

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