ローリスクハイリターンな投資としての子育て

40代 家事、育児、教育、投資を中心に生活しています。楽しい生活をおくるための考え方や料理、おすすめ映画、おすすめ本など。

カテゴリ: 社会

・口より先に手が出るということ
私には中学生から幼稚園児までの子供がおります。一緒に生活していれば腹の立つこともあり、毎日ガミガミうるさいと思われているはずです。私自身、子供に対して怒りにまかせて叩くことは極力避けたいとは思っていますが、沸点が低いのか、口より先に手が出ることも多くあります。口で言って分からないことに対して暴力は効果的です。子供を服従させるために叩くことや子供が振り上げた拳を拘束するのは完全に否定されるべきものではないはずです。

非暴力を貫いた父親が下した恐るべき最後の決断
家庭内暴力に悩まされる親は現在、社会問題となっている子供に対する虐待ほどにはクローズアップされていませんが、当事者自身が公にしない限り分からない問題であり、それが傷害事件となって初めて公にされるというケースが多いように感じます。
以下の文章は永井俊哉ドットコム「エントロピーの理論(15)優しさだけで子供はそだつのか」を自分なりに考察したものです。子を持つ親にはぜひ読んで頂きたい論文です。

約20年前、14才の息子を父親が金属バットで殴り殺す事件がありました。事件以前に加害者の父親は子供に対して暴力を振るうことはなかったし、自分自身も親から暴力を受けたことがなかったという事実は私にとって衝撃的でした。
子供に勉強を強要することもなく仲良く遊ぶことも多かった父親が子供を殺すという事実は決して他人事ではなく、深層を理解することは意味のあることだと思います。
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・事件の概要

1996年11月 東大卒でまじめな父親が息子(14才)を金属バットで殴り殺した

最初に母親への暴力が始まった
息子の出生当時、両親とも共稼ぎで息子は生後三ヵ月から保育園にあずけられた
息子の暴力の遠因は母から遠ざけらられているという思いへの復讐だった
父親は息子の母に対する暴力を叱らなかった
当時、父親自身は仕事がうまくいかず、家庭内に目を向けていなかった
父に対しても暴力を振るうようなり、それがエスカレートしていった
父親は息子の気持ちを分かろうと専門機関に相談したが解決しなかった
息子は自暴自棄になり自殺未遂を図った
父も自殺願望が起きたが、それが息子への殺意と変わり、犯行が実行された

2013年4月 父親は懲役3年の実刑判決を受けた


・史上最強の権力とは
母親は実際には子供に対して愛情を持って接していたようです。しかしながら、幼い子供にはそれが理解できず、遠ざけられたと感じたという事実は重要な点であると思います。子供は大人ほどに理解力はありません。自分の子供は自分のことを理解してくれるという根拠のない自信は、結果として悲劇につながると感じました。
子供からの暴力に対して毅然とした対応をすることは親としての責務です。その方法はケースバイケースでしょうが、それは時として親からの暴力も必要な状況もあるのではないかと思います。しかしながら、それでも暴力は避けるべきです。 なぜなら暴力は相手を従わせる最適の方法ではないからです。
 暴力をこれ見よがしに振るう暴君は、一見すると権力がありそうだが、実はそうではなく、暴力を振るわないがゆえに権力が不可視となった民主主義的な統治こそ、史上最強の権力を持っている。
    永井俊哉ドットコム「エントロピーの理論(15)優しさだけで子供はそだつのか」

暴力を使わない形で見えない権力を持った親になるにはどうすればいいのか、このブログを通して考えていきたいと思っています。

この記事は過去の「愛情を持って保育園に預けていても、それが子供に遠ざけられていると理解されたなら」を加筆、修正したものです

永井 俊哉
プレスプラン
2003-07-15



 

・現代の日本にも貴族は存在する
「貴族」は中世のヨーロッパに出てくる特権階級のイメージですが、現代日本にも貴族に相当する人は存在しているようです。

現代日本における高級官僚たちは、かつての貴族に相当する。マスコミは、官庁や高級官僚が天下った特殊法人や公益法人の非効率性をしばしば批判するが、彼らは、民間企業の経営者のように、収益をあげることができないことに対して、何らの劣等感も持っていない。むしろ、彼らは、自分たちが、利潤の増減に一喜一憂する商人的な世俗性から超然としていられることに貴族的な優越感を持っているのだ   
               永井俊哉ドットコム「上品さとは何か」
私の友人にも公務員はいます。高級官僚ではありませんが、営業成績で一喜一憂しているわけではないようです。労働環境、給与水準、福利厚生などあらゆる面で日本の公務員とは「現代の貴族」であるといえそうです。

・上品であるとはどいうことか
貴族の特徴としては彼らが「上品である」ことが想像されます。上品であるとはどういうことかはこの文章に集約されています

上品さとは、欲望充足の直接性と効率性を否定することであり、上品さにおいて文化が自然から区別される。上品さは、上流階級の人々が富を衒示的に浪費することで示されるステータスシンボルである。
                
                永井俊哉ドットコム「上品さとはなにか」 

欲望に対して効率的であれば、下品な行為となります。そして浪費こそ上品さを示すシンボルでもあります。それでは浪費を伴わないで上品さを演出することは不可能なのでしょうか。
節約生活している人の中には「他人からどう思われようと関係ない」と割り切れる方もいるようです。人それぞれの考え方なので、良いとも悪いともいえませんが、下品に思われるよりは上品に思われた方が、経験上、得であることは分かります。 
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・「効率を重視する貴族」という存在
売上や営業目標のことばかり考えて仕事をしているのは確かに上品さとはかけ離れています。上記の論文では高級官僚が貴族に相当するとしていますが、私には公的職業に携わる正規の職員は特権階級という意味で貴族的であると思います。公務員は利益を優先しているわけではないので、「上品な」仕事と思われやすいのではないでしょうか。欲望の直接性を否定することが、「上品さ」であるのあらば、公的な職業に就きながら節約生活をすることは貴族的でありながら効率性を追求するということになります。生活においては効率性を追求し、そのための手段として上品な職業に就業することは多くの日本人が理想とする生き方ではないでしょうか。

・なぜ裕福であることを隠すのか
現代の日本で公務員が貴族的に見えない理由は、明らかに裕福であることを見せびらかすような生活は結果として自己に不利益となることが分かっているからであり、これが「上品な節約生活」を志向するひとつの要因になります。
現代の日本社会には「公的職業に携わる貴族的な人とそれ以外の平民」という見えない格差社会が存在している気がします。そして、「節約生活」志向がさらにそれを見えにくくしているのではないかとも思います。

この記事は過去の「裕福だけど節約好きというアピールが目指すもの」を加筆、修正したものです。

市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05





                 
                 


・地域活動は行政の下請け
中学生から幼稚園児まで4人も子供がいると、その人数分の集まりや提出書類などがあります
育成会、部活動の保護者会、授業参観、奉仕作業、町内会
ひととおり、無難にこれらの活動に参加してはいますが、参加していくうちに見えてくるものがあります
それは、これらの仕事の多くは行政の下請け業ではないのかということです

・私の住む町内会の主な事業内容


地区の祭りの運営
市の交通災害共済の募集と集金
ゴミ収集所の維持、補修
協同募金の集金代行
市政だよりの配布
環境維持活動という名の清掃活動
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・補助金とい名のもとにコントロールされる地域団体

これらの活動の多くは行政からの補助金という名前でお金が出ます。これにより町内会は行政にコントロールされることになります。育成会(子供会)、PTA、部活動などの多くは上部団体から無償での活動(ボランティア)を当たり前のように強いられています。

財政錯覚とボランティア錯覚に共通するのは、非営利に対する幻想である。私たちは、金儲けという行為を蔑視し、反対に、非営利活動を崇高なものと考えがちである。しかし全労働に占める非営利活動の割合が増えれば増えるほど、経済全体の生産性が低下し、税収が減り、人的物的資源が浪費され、失業者が増えるのである。ボランティア活動は、非営利であるがゆえに世のため人のためになるという考えは間違っている。慣れないボランティア活動をするよりも、自分の本職に専念し、多くの税金を納めた方が公共の利益になるのである。

これは永井俊哉ドットコム「ボランティア活動は公益になるか」の中の一文です
ボランティアを積極的に勧めることや、素晴らしい行為だなどと称賛する行為はただ働きを称賛すること、つまりサービス残業を崇めることでもあります。積極的な無償の時間外労働は将来の賃金上昇に反映される可能性があるので、ボランティアと区別されるべきでしょうが、帰りたいのに帰れないというような付き合い残業やパワハラ的残業はボランティアと同じであると思います。長時間労働が社会問題となる背景には、この金儲けを蔑視してボランティアを崇めるという風潮が原因にあると思います。

・ボランティアがプロの仕事場を潰すという事例

部活動で大会があると駐車場係として保護者は駆り出されます。車で来た来場者は素人の交通整理に戸惑います。保護者はせっかくの休日を潰されます。プロの交通整理員は仕事が無くなります
ボランティアを推進することは、サービスをする者にとっては人的資源の浪費を、受ける側にとっては、サービスの質の低下を、プロにとっては、市場の縮小をもたらします。
  永井俊哉ドットコム「ボランティア活動は公益になるか」のコメントへの回答部分

・それでも地域活動に参加する理由
盲目的にボランティア活動が善だとする考え方には疑問を持つべきです。そうはいっても、現実の世界ではこれらの地域社会の活動の参加を完全に拒否することは地域のネットワークという資産、具体的には地域の情報、円滑な近隣との人間関係等を手放すことでもあります。本業に支障のない範囲での活動はそういった経済的尺度では測りずらい資産の増加につながります。それを認識すれば、PTAや町内会などの役員決めなどでの猛烈な拒否反応を示すことは、せっかくの資産増加のチャンスを逃すことであることを認識すべきです。地域活動への非協力的な態度が本当に自己の利益になるものなのかも考えるべきであると思います。その辺りのバランスを子供達にも大きくなるにつれて少しずつ教えていきたいと思っています。

この記事は過去の「ボランティアななるべく子供にさせたくない理由」を加筆、修正したものです。


市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05












 

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