・「自分を変えたい」という発想を疑う
「自分を変えたい」という発想が起きる前提としては「現在の環境は変えられないこと」があります。現状に不満があるが、周りは変えられないので自分が変わるしかないという発想です。しかしながら、この前提そのものを疑うことこそ、不満解消のためには必要なことなのではないでしょうか。

テレビのニュースなどで、「同一労働同一賃金」が最近話題になっています。やり方はいろいろでしょうが、根本的な考え方には賛同できます。同じ仕事をしていてパートなどの非正社員と正社員の給料が違いすぎるのは改善されるべきです。

それはともかく、これを推し進めていけば何が起きるのでしょうか。パート社員などの非正規社員と正社員の賃金格差が少なくなる、つまり正社員の賃金がもっと下がることに繋がると考えるのが間違いないところでしょうか。パート社員の時給を引き上げるよりも正社員の賃金を減らす方が経営者として考えれば合理的判断であるのは明白だからです。

・転職のリスクとは何か
賃金を減らされた正社員は転職するでしょうか。すぐにはしないはずです。現在の日本(特に地方)にそれを積極的に行うメリットは少ないはずです。仮に今勤めている職場が中途採用に積極的な職場だったとしても、次に勤めるであろう職場は閉鎖的である確率が高いからです。現実問題、職場も学校も自由に移動できればよいのでしょうが、それには多くのリスクを伴います。

そういったことを十分承知の上で、私自身が正社員として17年間勤めた会社を辞めるには理論的に納得できるものが自分には必要でした。そんな時、この文章を思い出しました。
 日本は先進国の中で最も自殺率の高い国であるが、その理由の一つとして、日本には、他の先進国と比べて、選択の自由が乏しいという点を挙げることができる。語学力が苦手な人が多いので、日本で生まれたら、一生日本で生活しなければならない。転職の自由が制限されているので、一度入社したら、定年までそこにしがみつかなければならない。転校の自由も制限されていて、いじめがあるからといって、簡単に逃げ出すことはできない。日本人は、現状に不満がある時には他所に逃げるという発想に乏しい。自分で解決しようとするよりも、運命に身を委ねる人が多い。そして、どうしても我慢できない時には、あの世という究極の脱出口に救いを求める。こうした日本の傾向を変え、自殺率を下げるためにも、選択の自由をもっと増やすべきなのだ。
            永井俊哉ドットコム「民主主義はどうあるべきか」
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・正社員という肩書を敢えて捨てるという選択
正社員に留まることが全てではない。むしろ自らそういった既成の道徳的な縛りで自らを規制することは自分の子供に対しても同じような道を歩ませることに繋がるのではないか。子供には、自らがリスクを覚悟で自由に選択することの意味を自分の生き方を通して学んで欲しい。そう思うようになりました。

・努力の方向性を考える
学校であれ会社であれ、我慢できなければ、いや、そこまででもなく自分に合わないと感じていれば、別の居場所を探す努力をするべきであり、その場所や人などの環境を変化させようと努力したり、その場に留まりながら自分自身を環境に対応させようすることのみを努力と考えるのは早計ではないのでしょうか。

今の日本の社会問題の多くは上記の論文にあるように、選択の自由が制限されていることにあるのは実感として分かります。社会構造はすぐに変えられませんが、親が自ら模範となってそういったリスクを伴う選択をすることが、子供達が今より暮らしやすい社会にするための布石となると思っています。

この記事は過去の「自分を変えたいという発想の危険性を考える」を加筆、修正したものです

市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05