・お金をかけないと学べないこと
中学生から幼稚園児まで育てている私にとって、他の家庭が塾などの習い事にいくらぐらいお金をかけているかは興味あることで、いろいろなブログを読んでいます。先日、こんな記事がありました。
 子供は小学生と中学生の二人
 ピアノ、学習塾などで毎月の塾代が15万円
 自分は納得しているので、後悔は一切していない
 他人から何を言われても関係ない 
 後悔していない理由は、そこにお金をかける価値を感じているから
 将来、成長した子供には感謝してもらえると信じている
 今の段階では子供から感謝されている
 自分自身でも自己投資として専門学校に80万円支払った
 お金をかけないと学べないことはたくさんあると信じている
 一度きりの人生なので、ひとつひとつやりたいことを叶えていきたい
月15万円という金額には単純に驚きました。私の正社員時代の手取り収入くらいはあります。そしてそれに対して全く後悔していないそうです。私自身は月1万円の塾代すら渋々出しているので信じられない金額です。そして、他人から何を言われようが気にしないそうです。本当だろうか?と正直思います。

・感謝は数値で測れるのか
子供は自分から生まれたものであるから他人ではありませんが、自分自身ではありません。独立した個人としてみれば、自分の期待した将来像からかけ離れた道を歩む可能性も十分考えられます。子供からの感謝に価値を感じ、それこそがお金をかける対象として価値あるものだとする考え方は、感謝という数値では測ることのできないものをお金で可視化させる試みにも見えます。
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・当たり前から「ありがとう」は生まれない
「これだけお金をかけたのだから、感謝される理由がある」と考えるのは大人だけなのではないでしょうか。子供は「ありがとう。感謝している。お母さん大好き」などと言うかもしれませんが、子供はそれを言えば大人は満足するだろうという打算から発せられるものではないでしょうか。子供は与えられた環境を受け入れざるを得ない存在なのだから、今ある環境は「日常」でしかないはずです。「ありがとう」という言葉は文字通り「有難い」のであり日常、つまり当たり前からは生まれません。

・感謝を求める仕掛けを作る
子供のためにといって一般的家庭よりも極端に多額の資金を注ぐことは、大人にとっては努力の結晶かもしれませんが、子供にとっては「当たり前」になる可能性は高い思います。以前、私はブログの中で子供におかねのことを考えさせることの重要性をまとめましたが、当たり前からは感謝は生まれないことを意識するべきだと感じます。
親が良かれと思って努力した結果は子供には感謝されない可能性は十分にあります。それでは努力の結果がむなしいものになってしまいます。アメとムチではありませんが、意識的に親の存在のありがたさを思い知らせる環境を仕掛ける、「お手伝い」以上の責任を持った仕事を与えることが必要であると最近感じています。

教育、しつけ、子育てを考える上で下記の本から多くのことを学びました。著者の実体験の基づく言葉には重みがあります。私自身、小学生時代に「反省文」を教師に書かされた経験者として当時の教育法がいかに危険であったかを思い知らされた本です。一読をお勧めします。

この記事は過去の「毎月の塾代が15万円、後悔はないというけれど」を加筆、修正したものです。