・避難するリスク、しないリスク
2016年の11月22日に福島県沖でM7.3の地震が発生しました
この地震で5年前を思いだしました。
東日本大震災で自分の生活スタイルを見直した方は多くいると思いますが、私もその中の一人です
特に原発事故後の生活は、本気でリスクとはなにかということを考えるきっかけとなりました
最近、問題になっている福島からの避難者へのいじめ問題などは、避難することのリスクというものが現実にあったという裏付けでもあります。

・共働きは想定外のリスクに弱い
5年前、私達夫婦は共に被雇用者でした
雇われているとういことは、パートであろうが正社員であろうが組織の一員であるため、一般的には災害規模が大きくなればなるほど、組織の構成員としての役割も重要になり、家族を優先して組織の役割を放棄することはなかなか出来ません。
原発事故による放射線問題があったときも、国からの避難指示がない限りは仕事を放棄して避難などできるはずがないという使命感、義務感が当時の大多数の被雇用者の意見であったと感じています。
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・組織に埋没するということとは
私も組織の一員として仕事をしていたので、目の前にある仕事(震災でさらに膨大となった仕事)を放棄することは道義上できない、一緒に働いているメンバーに対して迷惑がかかるという思いが多くありました
しかしながら、私はそれより以前にネット上でシステム論研究者の永井俊哉氏を知り、ブログや著作を何度も読み返していました。彼のこの言葉を思い出しました
もし、その組織から逃げることができず、イエスマンになるしか他がないのなら、その人は、初めから独立したシステムとしては死んでいるということになる。組織に埋没している人は、独立したシステムとしては死んでいるが、組織という拡大身体の一部としてなら、生きている。その人は、組織が、環境に適応して生き延びることができるかどうかという形で、独立した個人と同じ問題に直面する。
これは永井俊哉ドットコム「環境に適応するとはどういうことか」の中の一文です
家族とは組織の最小単位であるといわれます。子供にとって、その両親が作り上げる家庭環境はその後の人格形成に極めて影響力があることに異論はないと思います
そうであれば、職場という組織の維持に使うエネルギーを家族に使うことは合理的な判断であると思えました。

・共働きをやめた理由
仮に原発事故による放射線被害がさらに深刻なものであったなら、移住を検討しなければなりませんでしたが、夫婦ともに被雇用者でれば、その選択を自らないものとしていた気がします。
共稼ぎは収入の面では一人よりも安定的であるはずです。しかしながら、それと引き換えに緊急時の選択の幅を狭める要因にもなります。
リスクに対する考え方は人それぞれでしょうが、私の場合は原発事故の約3年後、被雇用者であることをやめました。
夫婦どちらかが被雇用者であることは安定的な生活を送るために重要です。そして夫婦どちらかが被雇用者でないということも、大規模災害などの変化に即座に対応できるという観点からは重要であると思います
この記事は過去の「共働きをやめるきっかけとなった出来後について」を加筆、修正したものです

市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05