・地域活動は行政の下請け
中学生から幼稚園児まで4人も子供がいると、その人数分の集まりや提出書類などがあります
育成会、部活動の保護者会、授業参観、奉仕作業、町内会
ひととおり、無難にこれらの活動に参加してはいますが、参加していくうちに見えてくるものがあります
それは、これらの仕事の多くは行政の下請け業ではないのかということです

・私の住む町内会の主な事業内容


地区の祭りの運営
市の交通災害共済の募集と集金
ゴミ収集所の維持、補修
協同募金の集金代行
市政だよりの配布
環境維持活動という名の清掃活動
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・補助金とい名のもとにコントロールされる地域団体

これらの活動の多くは行政からの補助金という名前でお金が出ます。これにより町内会は行政にコントロールされることになります。育成会(子供会)、PTA、部活動などの多くは上部団体から無償での活動(ボランティア)を当たり前のように強いられています。

財政錯覚とボランティア錯覚に共通するのは、非営利に対する幻想である。私たちは、金儲けという行為を蔑視し、反対に、非営利活動を崇高なものと考えがちである。しかし全労働に占める非営利活動の割合が増えれば増えるほど、経済全体の生産性が低下し、税収が減り、人的物的資源が浪費され、失業者が増えるのである。ボランティア活動は、非営利であるがゆえに世のため人のためになるという考えは間違っている。慣れないボランティア活動をするよりも、自分の本職に専念し、多くの税金を納めた方が公共の利益になるのである。

これは永井俊哉ドットコム「ボランティア活動は公益になるか」の中の一文です
ボランティアを積極的に勧めることや、素晴らしい行為だなどと称賛する行為はただ働きを称賛すること、つまりサービス残業を崇めることでもあります。積極的な無償の時間外労働は将来の賃金上昇に反映される可能性があるので、ボランティアと区別されるべきでしょうが、帰りたいのに帰れないというような付き合い残業やパワハラ的残業はボランティアと同じであると思います。長時間労働が社会問題となる背景には、この金儲けを蔑視してボランティアを崇めるという風潮が原因にあると思います。

・ボランティアがプロの仕事場を潰すという事例

部活動で大会があると駐車場係として保護者は駆り出されます。車で来た来場者は素人の交通整理に戸惑います。保護者はせっかくの休日を潰されます。プロの交通整理員は仕事が無くなります
ボランティアを推進することは、サービスをする者にとっては人的資源の浪費を、受ける側にとっては、サービスの質の低下を、プロにとっては、市場の縮小をもたらします。
  永井俊哉ドットコム「ボランティア活動は公益になるか」のコメントへの回答部分

・それでも地域活動に参加する理由
盲目的にボランティア活動が善だとする考え方には疑問を持つべきです。そうはいっても、現実の世界ではこれらの地域社会の活動の参加を完全に拒否することは地域のネットワークという資産、具体的には地域の情報、円滑な近隣との人間関係等を手放すことでもあります。本業に支障のない範囲での活動はそういった経済的尺度では測りずらい資産の増加につながります。それを認識すれば、PTAや町内会などの役員決めなどでの猛烈な拒否反応を示すことは、せっかくの資産増加のチャンスを逃すことであることを認識すべきです。地域活動への非協力的な態度が本当に自己の利益になるものなのかも考えるべきであると思います。その辺りのバランスを子供達にも大きくなるにつれて少しずつ教えていきたいと思っています。

この記事は過去の「ボランティアななるべく子供にさせたくない理由」を加筆、修正したものです。


市場原理は至上原理か
永井俊哉
Nagai, Toshiya
2016-03-05