・ゴールを決めたときの爽快感の正体
私は映画をよく観ますが、スポーツはあまり観ません。嫌いというわけではなく、ハラハラして見ていられないというのが正直なところです。ですが、昨日のサッカーは最後まで見ました。世界最強のクラブチームに日本のチームが互角に戦っているという、少し前までは考えられなかったことが、現実に起きていることに興奮しました。
ところで、サッカーでゴールが決まった瞬間の爽快感とは何なのでしょうか。

サッカー選手がシュートを打ってゴールを決めたり、野球の選手がホームランを打って、ボールを観客席に入れ、観客が興奮するのは、それが射精的行為でもあるからだ。
                永井俊哉ドットコム「芸能人とはいかなる存在か」 

こういった発想は私には夢にも思っていませんでした。しかし、そう考えると納得できる部分も多くあります。 

・スポーツに求めるもの
そもそも、スポーツや映画などいわゆる娯楽とはなんなのかということを考えると、「暇つぶし」以上のものを求めている気がします。社会問題を扱う映画やドラマ、礼儀を重んじる部活動などを「暇つぶし」として捉えるのは抵抗感があります。

 「スポーツは何の役にも立たない」という私の発言は、スポーツを貶めた発言ではありません。おもしろいことに、役に立つものの中で、「崇高な」とか「感動的」と形容できるものは、何もありません。道具には、道具以上の価値がないのです。私たちが、偶像(アイドル)として崇拝するものは、すべて実用性から切り離された祝祭空間の中にあります。
          永井俊哉ドットコム「芸能人とはいかなる存在か」のコメント部分
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・役に立つとはどういうことか
役に立つというのは何なのかということを考えると、例えば
・毎日の保育園の送り迎え
・毎日の食事の準備
・毎日の皿洗い
・毎日の家の掃除
・仕事場でのパソコンでの入力作業
・座る暇がないほど忙しい営業活動
などが、経験として思い出されます。これはこの行為をすることにより貨幣を得られたり、生活の安定をもたらすものです。しかしながら、この作業に感動はありません。

・役に立たないからこそ感動する
役に立つということは一般的に地味なものです。家庭の主婦が黒子的なイメージがあるのは現実的に役に立つからこそ地味なのであって、スポーツ選手やアイドルに感動するのは、それが役に立たないからであるとすると腑に落ちる部分も多いかと思います。
スポーツに努力や粘り強さを養う糧となる部分は確かに多いと思います。しかしながら、スポーツのみにのめり込むことは「役に立たない」ものにのめり込むことであるという認識も、子供の教育に必要であると思っています。